
ジャズピアニスト、採譜屋として活動中。
兵庫県神戸市在住。9月14日生まれのおとめ座。
5歳の時にピアノを始める。
甲南中学校・高等学校入学を機に、ジャズビッグバンドでの活動を始める。
高校2年生の時、神戸で開かれるジャパン・スチューデント・ジャズ・フェスティバルにてナイス・プレイヤー(個人賞)を受賞。その後自分のビッグバンドを結成し、カウントベイシーオーケストラの曲を演奏し続ける。
卒業後甲南大学入学後、ジャズ研究会に所属し、ビッグバンド活動と共にコンボでも活動を始める。
大学3回生の時、河口湖で開かれる国際ジャズオーケストラ・フェスティバル ~ステラジャム~で、California Jazz Conservatory賞を受賞。2018年3月に短期留学をする。卒業後インプロの勉強を始める。
大学卒業後は一般企業に勤めて活動を続け、2020年にミュージシャンに転向。音楽の道を志し始める。
ピアノ及びインプロビゼーションを石田ヒロキ氏(P)に師事する。
関西を中心にジャズバンドで活動中。ブログやYouTubeで音楽活動に関する話も投稿中。
―好きなもの―
・基本的になんでも食べる。
・旅行。電車に乗る事が好きなせいもあり、電車をただ乗り続けたりするだけでも楽しい。九州と四国は一周しました!
・水曜どうでしょう(北海道の深夜番組)。あの4人の感覚や雰囲気が凄く好き。
物心ついた時から音楽があった
幼少期は母が家でクラシックの有線や「おかあさんといっしょ」のCDをかけていました。また父もギターを嗜んでいました。そのおかげか、身近にずっと音楽があったと記憶しています。
そして5歳の時、クラシックピアノを習い始めます。当初はとくにモチベーションも高くなく、ただやっている感じでした。最初は正直辞めたいとさえ思いました。
しかし続けていくうちに、難しい曲を練習して出来るようになっていき、発表会で演奏する事に大きな達成感を得る事が出来ました。
みんなと演奏する事が楽しい!
クラシックピアノを続けていくうちに、曲の世界観を自分で表現出来る事に大きな喜びを感じていました。その一方でピアノで自己表現をするには限界があると感じていました。
そんな時、小学校の音楽会で合奏曲をやる事になりました。時は小学4年生、曲は葉加瀬太郎の「情熱大陸」。
今まで合奏という形態のものをした事がなく、演奏した事のないジャンルの曲を演奏した自分にとってはそれがとても楽しかった事を覚えています。
その時に、一つの曲を大勢で演奏する楽しさを新たに覚えました。
ジャズに出会った中高時代
クラシックピアノを続けながら中学受験をし、入った学校は滑り止めの甲南中学・高等学校。
自分の行きたかった私立の上の方の学校ではなかったため、正直全く乗り気ではありませんでした。
しかし、そこでジャズに出会い、ジャズバンド部への入部を果たします。理由?そこで演奏する名も知らぬ先輩への憧れと人生が変わると思ったからという不真面目な理由。(笑)
もちろん練習にも身が入りません。あんなに大勢で演奏したいと思っていたのに…。
しかしそんな僕にも一つのきっかけが訪れます。それは中学二年生の秋の代替わりの時に、周りより一年早く高校生バンドへの早期加入をした事です。
レベルの高さに戸惑いを隠せませんでした。初合奏では緊張で手が震えさっぱり弾けなかった事を今でも覚えています。そして先輩方には白い目で見られました(笑)
それが悔しかったのか、真剣にやらないといかん!と思い、いつになく真剣に練習しました。その結果、一番最初の本番で上手くいき、先輩方にもたくさん褒められました。
この時、僕は一番大事な事に気づきます。それは正しい方法で一生懸命に物事を頑張っていけば、結果は必ずつく。そして失敗を恐れるな。この二つです。
そして僕は運命的な出会いを果たします。それが僕の最たる憧れの1つ、カウントベイシーオーケストラです。リーダーでもあるカウントベイシーが弾くピアノ、そして彼らの出すバンドサウンドにのめりこみました。
このように彼を崇拝し続けながら中高時代を過ごし、高校二年生の夏の大会(ジャパン・スチューデント・ジャズ・フェスティバル)にてナイス・プレイヤー(個人賞)を受賞します。
その年の9月に憧れであったカウントベイシーオーケストラとの共演も実現し、夢のような生活に引退という二文字でいったん幕を閉じます。
引退後、考え続けた人生への悩み
引退したあと、自分は音楽を続けたいと思っていました。そのため、自分で「はやっしーのBig Band」というビッグバンドを立ち上げます。
勿論演奏するのはカウントベイシーオーケストラの楽曲のみ。そんな夢のようなビッグバンドを運営し、組織運営に対する心構えや知識が大きく欠落している事に気づかされました。
この時に、大学に入るなら人に携わる事を何かしたいと思いました。だからこそ音大ではなく、普通の大学に入った方がいろんな事が出来、色々な目線で物事を考えられるのではないか…。その夢を胸に、受験勉強をしながらカウントベイシーオーケストラを聴き続けます。
大学でも音楽漬け
無事大学に合格し、ジャズ研究会への門を叩きます。ビッグバンドではカウントベイシーオーケストラの曲を中心に、小編成のコンボでも活動を開始します。
それと同時に自己ビッグバンドも活動を再開します。その中で組織運営について手探り状態で勉強していく日々。大きな壁にぶつかりながらも奮闘していました。この経験から、沢山のことを学んだといえます。
そんな時、二回生の時、授業アシスタントとホテルのサービス員のアルバイトを始めます。待望の人に携わる事を始められることに大きな嬉しさを覚えました。この経験から、人への関わり方を勉強する事が出来ました。
こうしてビッグバンドと三年生の夏の大会(国際ジャズオーケストラ・フェスティバル ~ステラジャム~)にてCalifornia Jazz Conservatory賞(個人賞)を受賞しました。その年の10月には自分のビッグバンドでエリックミヤシロさんとも共演する事が出来、大きな達成感を覚えました。
再び悩む
四回生になり、周りは就職活動のムードに変わります。そんな中、僕の心中には音楽を勉強したいという漠然とした思いがありました。しかし僕はその想いを封じ込めました。
「今まで親に育ててもらったんだ、だからこそ不安定なミュージシャンではなく、サラリーマンとして安定的な仕事をして自立しよう」
本当はしたい事でもないのにそう言い聞かせ、就職活動に集中しました。その後内定をもらい、音楽を勉強したいという思いはすっかり忘れていました。
そうして翌年四月から正社員として働き始めました。
突然襲う病魔
新人として働き始めた年の六月の手前、突然右足がしびれだしました。ちょうど仕事に慣れだした頃だったため、疲れているのかなと思い、そのまま仕事を続けました。
しかし六月半ば、痛みがピークに達し、歩くことが困難になりました。病院に行きMRI検査を取り、その結果椎間板ヘルニアと診断されました。
その時、僕は自分の思いを封じてまで仕事をしてきたのになんでこうなるんだ、俺をいじめるなよ神様!という絶望に襲われました。